2014.07.28 Monday

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2013.09.26 Thursday

ピロール米 予約で売り切れ !!

おはようさんです。ようやく・・新米ができあがりました。
 今年は・・・田植えも地区では遅くなっていたので・・当然刈り取りも遅いものと思っていましたが・・長雨と豪雨と先日の 15日16日の京都 滋賀 福井を襲った 台風18号の影響・・・・で、ますます遅くなってしまいましたね。しかも今年はわが村に鎮座する 白山神社の 宮総代を引き受けておりまして・・・・秋の例大祭行事の準備 みこし行幸などに追われ、ピロールのイベント・・・・東京ビックサイトでの 「 東京ビジネスサミット 」も少し早く切り上げて( 後半は矢野営業部長と交代 )・・・・・の対応でした。


  この、新幹線での帰宅途中のこと・・・・品川発 19時33分 米原経由 の新幹線 「 ひかり 」

  乗るや座るや・・・・いやはや、自由席はすでに品川では座れない状況・・・・「 ふうん、すごいのだな・・この時間帯は ・・・」 と、仕方なく・・・立ったままでおるのだが・・・このあと異常な状況に私 ( 初老のおじさん )に ビックリ させられるのでありますわ。

 立っておるひと、7〜8人  座っている人・・・・みんなを見渡せば・・・みなさん、スマホ か ipod か知らないが 釘付け・・・・・「 ホウ、ソウナノカぁ〜 」 そして、座っている前の男性、女性・・3人がけの皆がなにかしら・・・せわしく指を動かしておられますよ、
  
 ふうん、そして立っているとなりの おばさん・・・50代だろうなぁ〜・・・同じく真剣な目で画面を見つめておられますな。  そして、座っている男性の画面がチラチラ見えます・・・・なあんだ・・・ゲームをやっとるんやないかいな・・・

 そして、ほとんどが ゲームのようなものに夢中なのだ・・・これは、約40分近く続いておった・・・その後疲れたのか皆さん・・・それぞれに・・

 しかし、この状況には・・びっくりさせられましたな。週刊誌も本も読んでおるのがいなかった・・・ウルトラノートを開いておる初老の男性を一人見たのみの車内・・・・恐れ入り申した。

我が家の ピロール米・・・おかげで売り切れました。予約でおわり・・・・( 水森かおり の「 おわりっ !! 」)
2013.09.25 Wednesday

ピロール米 予約で売り切れ !!

おはようさんです。ようやく・・新米ができあがりました。
 今年は・・・田植えも地区では遅くなっていたので・・当然刈り取りも遅いものと思っていましたが・・長雨と豪雨と先日の 15日16日の京都 滋賀 福井を襲った 台風18号の影響・・・・で、ますます遅くなってしまいましたね。しかも今年はわが村に鎮座する 白山神社の 宮総代を引き受けておりまして・・・・秋の例大祭行事の準備 みこし行幸などに追われ、ピロールのイベント・・・・東京ビックサイトでの 「 東京ビジネスサミット 」も少し早く切り上げて( 後半は矢野営業部長と交代 )・・・・・の対応でした。


  この、新幹線での帰宅途中のこと・・・・品川発 19時33分 米原経由 の新幹線 「 ひかり 」

  乗るや座るや・・・・いやはや、自由席はすでに品川では座れない状況・・・・「 ふうん、すごいのだな・・この時間帯は ・・・」 と、仕方なく・・・立ったままでおるのだが・・・このあと異常な状況に私 ( 初老のおじさん )に ビックリ させられるのでありますわ。

 立っておるひと、7〜8人  座っている人・・・・みんなを見渡せば・・・みなさん、スマホ か ipod か知らないが 釘付け・・・・・「 ホウ、ソウナノカぁ〜 」 そして、座っている前の男性、女性・・3人がけの皆がなにかしら・・・せわしく指を動かしておられますよ、
  
 ふうん、そして立っているとなりの おばさん・・・50代だろうなぁ〜・・・同じく真剣な目で画面を見つめておられますな。  そして、座っている男性の画面がチラチラ見えます・・・・なあんだ・・・ゲームをやっとるんやないかいな・・・

 そして、ほとんどが ゲームのようなものに夢中なのだ・・・これは、約40分近く続いておった・・・その後疲れたのか皆さん・・・それぞれに・・

 しかし、この状況には・・びっくりさせられましたな。週刊誌も本も読んでおるのがいなかった・・・ウルトラノートを開いておる初老の男性を一人見たのみの車内・・・・恐れ入り申した。

我が家の ピロール米・・・おかげで売り切れました。予約でおわり・・・・( 水森かおり の「 おわりっ !! 」)
2013.09.13 Friday

是非読んでほしい・・・

加瀬英明先生からのメールが数通届いた。
その一通・・・頭に入れておきたい言葉があります。和歌山の浦社長・・・浦 聖治・・の「 聖 」もともとは、耳の穴が通ってよく声が聞こえる人です・・・・とある。目は口ほどにものを言う・・・・という言葉がのこされているが・・・口よりも、目よりも、耳がより大切なのかもと。・・・

 そして・・・「 教育制度は、あるのだが、教養がない・・・教養があるはずなのに知恵がない、ここぞという勇気に欠ける 」

 わが師匠の言われていた・・・「 先生が、先生そのものが なっとらんわいのう・・! ありゃあ、おまえより早く生まれたというだけの先生なんじゃからのう・・わっはっははは 」と歯の無い口をあけて大笑していたのが脳裏にある。
     私も、二年生の孫娘に笑われる・・・「 おじいちゃん、長生きしているのにこんなことも知らんのかぁ〜 」
     65歳で長生きと言われるのだ・・・孫娘にのう・・・なかなか、この孫はおもろいやつだ・・





●60年前の“夏めく”

 先日、ラジオ番組に出演したところ、「今年は日本でテレビ放送がはじまってから、60周年に当たりますが、テレビの功罪について、どう思いますか?」と、質問された。

 街頭テレビをはじめて観た、60年前の夏の記憶が、突然、甦った。

 8月の暑い日だったが、鎌倉の市役所の前あたりに街頭テレビが設置されて、黒山の人だかりだった。

 私は16歳だった。わが家が鎌倉にあった。この年1月にNHKが、テレビ本放送をはじめていた。ラジオ局から戻ってから、年表を調べたら、8月に日本テレビがはじめて民放局として、放送を開始していた。

 私はラジオ番組のホストに、「テレビに功など、まったくありません。60年前の日本に戻ってみましよう。日本人はみな律気で、節度を守って、家族の絆がしっかりしていたし、隣近所の縁も大切にしました。それを壊した元凶が、テレビです」と、答えた。

 「テレビがなかったら、きっと60年前の日本が守られていたことでしよう。漢和辞典をひくと、目がついた字には眠る、眩(めまい)とか、瞑(くらい)とか、知的なものが、1つもありません。

 目と違って、耳偏がついた字は聡(さと)く、聖は耳のあなが通って、よく声が聞こえる人です。

 聴くの𢛳は立てるという意味ですが、耳を立ててよく聞く。行人偏の行人は修行者ですが、徳と同じ字です。警視庁とか、国税庁の庁の本字は廰ですが、民の声をよく聞くことが役目です。それが面倒だから、庁にしたんでしよう。

 愚か者は、人をじゃらすだけのテレビを見て、賢い人は、ラジオを聞きます」

 テレビを観ていたら、ある教授が「アメリカの研究所に招聘されましてね」と、得意気にいった。「招聘」の「聘」は耳がついているから、賢者のことだ。招かれる側の者がいう言葉ではない。

 60年前といえば、夏めくと、家のなかも衣更えした。座敷の襖(ふすま)や、障子をとり払って、簾(すだれ)を掛けて、涼しげな夏座敷を装ったものだった。

 日本語には、夏扇、風鈴、夏衣(なつぎぬ)、夏帯、夏座布団(なつざぶとん)、夏布団、夏掛け、夏神楽、夏羽織、夏足袋をはじめとする、夏の到来にともなう多くの語彙がある。
 
 青々と茂った夏山、夏木立、夏陰、夏らしく装った家である夏館(なつやかた)は、みな季語だ。はだしも、夏の季語だった。はだしで下駄を履くのが、快かった。季語、季題は、日本に独特なものだ。

 路地に竹や木で造った縁台を出して、近所の人々と心を配りあって、夕涼みに時を過した。

 住居は風の通りみちだった。私たちは季節のうつろいにも、人にも、心をつかった。心は情けの通りみちだった。

 日本語には、心配り、心づかい、心合い、心情け、心づくし、心有り、心意気、心勢い、心一杯、心入れ、心得、心がけ、心根、心がまえ、心ぎき、心添え、心碎き、心立てをはじめとして、心がついた言葉が、200以上もある。

 ところが、英語となるとコンサイスをひいても、心heartがつく熟語は、heartattack心臓麻痺、heartburn胸焼け、heartdisease心臓病といった言葉ばかりだ。

 かつて、私たちは心の民だった。それなのに、今では建物や、住居を鉄やコンクリートやガラスによって密閉するようになってから、風や、情けが通わなくなった。

 西洋人の猿真似に、うつつを抜かした成れの果てだ。

 小泉八雲(イギリス名、ラフカディオ・ハーン、1850年〜1904年)といえば、日本に帰化した作家で、文芸評論家だった。

 ハーンは日本人の心性の高さに、魅了された。そして日本の西洋化が進んでいるのを嘆いて、口癖のように、「耶蘇(やそ)が悪いのです」といった。耶蘇はキリスト教のことだが、ハーンは西洋化という意味で使っていた。

 夏といえば、夏子という女性がいた。今から、110年以上前になる。

 5千円札に樋口一葉の肖像が、あしらわれている。一葉は筆名で、本名をなつというが、夏子とも書いた。

 樋口一葉は日本が日清戦争に勝った翌年に、25歳の若さで病死した。一度も、洋装をしたことがなかった。

 5千円札の肖像はなつがたった1回だけ、写真館で撮った写真がもとになっている。しかし、顔から陰翳(いんえい)を取り除いて、平面的にしたために、もとの写真の理知的で、蠱惑(こわく)的な美貌が伝わらない。

 なつは、明治5(1872)年に、東京府の下級官吏を父として、府庁舎の長屋で生まれた。父は甲斐(かいの)国(くに)(現在の山梨県)の農家の子で、明治元年の11年前の安政4(1857)年に、江戸に出た。なつが17歳になった時に、父が事業に失敗し、多額の借金を残して病死した。

 なつは母と妹をかかえて、針仕事や洗い張りなどの内職によって生活を支える、不遇な生涯を送った。明治29(1896)年に、肺結核で亡くなった。

 なつは日記を遺したが、病没した前年の明治28(1895)年に、日記に「安(やす)きになれておごりくる人心(ひとごころ)の、あはれ外(と)つ国(くに)(註・西洋)の花やかなるをしたい、我が国(くに)振(ぶり)のふるきを厭(いと)ひて、うかれうかるゝ仇(あだ)ごころは、流れゆく水の塵芥(ちりあくた)をのせて走るが如(ごと)く、とどまる處(ところ)をしらず」「流れゆく我が国の末いかなるべきぞ」と、嘆いている。

 私は5千円札を手にするたびに、なつの警告を思い出す。

 なつの学歴といえば、11歳で4年制の小学校を卒業しただけだった。

 それにしても、いまの日本には教育があって、教養がない女性ばかりしかいない。●

加瀬先生は・・・日本語 ひらがなの 美しさをとかれている。  人ではない・・ひと  心じゃない・・こころ
 命と書かないで  いのち と書くのよね。
2013.09.13 Friday

お知らせ

今回の和歌山講演日程が送られてきた。
 運よく。岡山の岡田社長も多忙の中をかけつけていただくことになった。感謝感謝である。
また、フェイスブックでは・・・・浦社長の ご活躍ぶりによって・・・ピロール農法の宣伝がすごいことになっているようです。・・・今は亡き父親と私でピロールを広めていた時代を想うと隔世の感がありますよね。

 やはり、時代が望んでいるものの一つなのですな。




1. 開会の挨拶(5分)
2. 太田Uターン協議会 代表 挨拶  (5分〜10分)
3. クオリティライフ 代表 挨拶  (5分〜10分)
4. 太田Uターン協議会 ピロール農法経験者談話(30分: 1人10分程)
     ・今回初めてピロール方法をされた方の談話
     ・昨年よりピロール方法をされた方の談話
5. 〜 休憩 〜           (10分)
6. オカヤマの岡田社長による講演  (40分)
7. 〜 休憩 〜 (10分)
8. 黒田社長によるピロールの講演  (40分)
9. 質疑応答            (30分)
10.閉会の挨拶           (5分)
========================


 この集まりの中心的人物の方々の情熱がすごいものがあります。・・・先日も静岡県浜松市に講演にゆきましたが・・・お米店の集まりでしたが・・・・元気がありませんね。・・・・和歌山の方々と比べると、「人種が違うのではないか!! 」と思うくらい。 おなじ日本人なのに・・・と。 何が違うとこの差が出るのか!!

 ということで・・次に貼り付ける加瀬先生からのメールを読んで見て・・・そのわけが少しわかるかも。
2013.09.13 Friday

友からのメール

ここ二日間メールを開かなかった。疲れがたまってしまい、ライスセンターの泊まり番にもなっていて、寝不足と過労が原因だが、わかっているけれど・・この時期は仕方がありませんね。埼玉の福田若夫婦からメールが来ていた。
 写真が添付されていたが奥さんの言われるように、どこに生き物がおるのか・・わからんわいな〜

 まあ、元気そうでなによりだ。


●こんにちは、福田です。

ここ最近、随分涼しくなってきましたが、如何お過ごしでしょうか?
僕は8月に富士山、そして先週の1日〜3日は北海道に行っていました。
北海道は7年ぶりで、やっと当時お世話になった方たちにも会って話をすることができて、良かったです。旅の目的地は静内町(襟裳岬からやや西側の太平洋に面した町)でしたが、1日目は釧路空港に降りてそのまま知床を目指しました。知床半島の西側になるウトロ町のホテルに泊まりましたが、日没前に半島の東側も回って羅臼まで行き、北の国からにも出てくる漁師が海岸に穴を掘って作った温泉も入りました。
釧路から知床に向かう途中、野生の鶴やキツネ、鹿など多くの野生動物に会えました。
(朋恵は僕が撮ったキツネの写真が小さすぎたので、ずっと文句を言っていましたが・・・)
ホテルの朝食バイキングにイクラがあったのは、うれしいサプライズでした。

2日目は知床の観光船に乗った後、帯広を目指して網走・北見を経由して南下していきました。網走ではオホーツク海を見ることが出来ました。
知床観光船では、知床の自然やヒグマを見ることが出来ました。ちょうど、川を遡上し始めたマスを狙って川に降りてきたようです。
網走では網走刑務所に立ち寄り、北見では広大なタマネギ畑に圧巻されました。
途中、隠れた観光名所「幸福(こうふく)駅」にも立ち寄りました。

3日目は、朝7時半にホテルを出発して静内町を目指しました。帯広から静内まで4時間かかりますが、その間、何度も静内のおばちゃんから電話がかかってきて、今いる場所を報告していました。その甲斐あって昼前には町につき、一緒に昼食をたべ、少しの間でしたが、ゆっくりと話をする機会もありました。
驚いたのは、2年近く住んでいた町にもかかわらず、土地勘が全く無くなってしまったことでした。別れてから7年、会ってしまえばすぐに感覚が蘇り、いつもの調子で話をしていましたが、確かに7年の歳月は流れていました。
唯一の心残りは、自分が働いていた職場を見ることができなかったことです。
噂では母体となるアニューグループが倒産し、昔の上司が農場の一部を買い上げて今もなお、ペンションを経営しながら農業を続けているようです。ただ、当時10haあった農場は1haほどに縮小されているようですが・・・

帰り際、朋恵とやはり2年か3年に一度は北海道に来て皆に会おうと話をしました。
皆、幸運なことに相変わらずの元気でいてくれましたが、それは永遠ではないことも、最近痛切に感じています。会って当時のお礼を言うつもりでしたが、まるで自分たちの娘夫婦が帰ってきたかのように出迎えてくれたその雰囲気に呑まれて言い出すことができなかったことも心残りです。
改めて、自分たちの北海道での2年間の生活は間違いなく、この方たちに支えられたものであることを確信しました。
北海道だけでなく、自分はこれまで多くの方たちに支えられて生きています。
感謝・感謝です。

写真は富士山の山頂から撮ったご来光と北海道で会った野生動物たちです。●
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