2014.07.28 Monday

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2013.06.29 Saturday

中国はこうなってゆく・・・


宮崎正弘氏の談・・・まあ、遅かれ早かれ・・こうなることはわかっていたからねぇ〜
いよいよ・・ドンズマリなのですわ。・・・ウソの上に壁を塗り、警察も泥棒も違いがわからないという民度の低さゆえの行く先は・・・おんなじ結末 ! リーマンショックの再来かな!


●金利急上昇、世界市場大混乱は必至。日本では中国進出企業の株が暴落。

刻一刻と爆発が迫った。

もはや中国バブル崩壊は不可避的で、残るのは時間の問題である。何時? どの程度の規模でそれが発生し、世界経済に与える悪影響はどれほど深甚か?

社会的にも暴動の激化、騒擾の日常化が考えられる。すでに英国中央銀行は、「金利の急上昇に備える」かまえをみせている(ウォールストリート・ジャーナル、6月28日)。

米ニューズウィーク誌(日本語版、7月2日号)は全面が中国バブル崩壊シナリオ特集で、とくにシャドー・バンキングと不良債権の危険性を論じ、日本のメディアでも各紙、週刊誌、経済雑誌がおなじ特集をしている。

第一に中国の経済停滞は避けられないだろう。

GDP統計はもともと水増しの面妖データである。不動産投資にGDPの47%が集中しているから、銀行の不良債権はおそらく350兆円を越えている(昨年まで小誌は最悪270兆円と見積もってきたが、これを訂正します)。

ゼネコン、デベロッパー、不動産斡旋、住宅ローン、信託、くわえて建機、健材、インテリア関連から看板塗装にいたるまで、倒産が続出する事になるだろう。

第二に中国の金融システムは、一党独裁の結果、柔軟性が失われているため、暴落はかえって改革の糸口を産むかも知れない。銀行関連のトップに王岐山系列、背後に朱容基の人脈が登場しているのは、一縷の希望を抱かせる。

ともかく四大国有銀行(中国工商銀、建設銀、農業銀、中国銀行)ならびに招商、光大など大手銀行は国家がつぶさない。

すると残る手だては何か?デノミさえも計算に入れた、通貨供給の増大、人民元を市中にまき散らす手段だろう。

第三に対外的に中国バブル崩壊は世界市場を揺らすことになるが、リーマンショックの場合と異なるのは、銀行が国有であること。潰れる懼れはないうえに中国はCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)を販売していない。中国の国債は香港とロンドンで市場があるだけ、購入者は限られており、日本は6800億円だけ保有しているくらい。

 ▼中国が保有する米国債を売るに走ると世界経済に悪影響がでる

こうみてくると世界市場で激甚な悪影響がでる懸念はひとつだけ。それは手元資金確保のため中国が保有する米国債2兆ドル強を売却することである。

金利が急騰することは避けられず、金利相場は日本にも跳ね返るだろう。

第四にシャドー・バンキングはのっぴきならない窮地に追い込まれ、犠牲の山羊として、見せしめ裁判も行われるだろうが、人民元の暴落があれば輸出競争力の回復が臨まれるので製造業の再活性化という逆のシナリオも描ける。

第五に日本の受ける損害である。せっかく回復した日本経済にチャイナリスクが加わって、上海株価が下落すると、ダイキン、コマツ、トヨタ、伊藤忠など過度な中国進出をなした日本企業の株価が連動して下落した。

日本政府が保有する人民元建て国債と通貨スワップ、中国株へ投資した個人投資家や中国株を組み入れた投資信託、ならびに香港のレッドチップ保有者は大きな損失を蒙るだろう。

他方、中国国家ファンド(CIC)系が保有する四兆円をこえる日本企業株がおそらく売却されるので、不気味な大株主をかかえるとして注目しされた各企業は株価が一時的下落に見舞われようとも、安心感を得られるメリットがある。

邦銀が貸し込んでいる3兆円強の融資は在中国日本企業であり、問題は少ない。いずれにせよ、関係者はよくよく中国経済の推移を見守る必要があり、打てる対策は早めにすべて講じておくべきであろう。●
2013.06.29 Saturday

東京ビックサイト出展


おはようございます。今日は鯖江市において・・・「 環境展が開催されます。年に一度ですが・・ピロールも出展します」四時半までです。
 
 ● 今秋 10月31〜11月2日まで  東京のビックサイト にて開催される「 オーガニックEXPO BioFach Japan 」に  有志のご支援にて出展させていただくことになりました。
  セミナーなど多彩です。是非HPなどご確認されまして、ご来場くださいませ。







●日本における「BioFach Japan オーガニックEXPO」は2001年に有機JAS施行と共に初めて開催されて以来、徐々に認知が広まり出展者および来場者も上昇の一途をたどり、2010年には18ヶ国256社が出展し、17,132人が来場する日本におけるオーガニック・ナチュラル関連製品見本市のスタンダードとして国内最大の規模となってまいりました。
また内容も回を重ねるごとに様変わりして進化し、過去においてストイックに見えたオーガニック・ナチュラル関連製品の当展示会も日本の消費者にLOHASなライフスタイルが浸透する中で出展者および来場者、取り上げられる媒体の多様性や洗練度も毎年増して来ております。
日本市場では昨年来特に、日々出版される各種雑誌にオーガニック・ナチュラル関連製品が掲載されない日はなく、また大手小売店や通販業者・飲食店の自然食品、大手アパレルのオーガニックコットン製品、大手化粧品会社のナチュラル化粧品、ホテルでの自然化粧品のアメニティ等をはじめ、ナチュラル関連商品を取り扱わない物販業業・サービス業の方が少ない状況となってきました。
そのような市場環境の激変の中、「BioFach Japan オーガニックEXPO」は多くの、トレンド商材を探している全国の卸売業者や小売店のバイヤー、雑誌や新聞に記事を掲載する編集者・ライター、消費者主導の日本においてブログ等で口コミを広げる発言力の強いイノベーティブな消費者、店舗や通販顧客となりうる意識の高い消費者に、最も注目される展示会になっています。

出展者様には、多くの卸関係者や全国小売バイヤーとの出会いの場、全国の既存のお客様への新製品発表・ご挨拶およびリレーションの場、直接的な新規顧客との商談の場、雑誌や新聞に取り上げられるチャンスの場、業界関係者との交流および情報交換の場、多くのイノベーティブな消費者への貴社認知の場、それぞれの多くの人から直接現場で意見を伺えるヒアリングの場、他出展者の新製品や市場全体のトレンドも肌で感じることができる市場調査の場、世界および日本のナチュラル・オーガニック製品のスタンダードとして仲間入りする舞台として。
また一般消費者の皆様におかれましては、世界中の新しいオーガニック・ナチュラル製品をまとめていち早く情報を先取りする場所として。
世界中から出展社や業界関係者、消費者が一同に集まるこのオーガニック・ナチュラルの祭典にぜひご参加ください。●
2013.06.26 Wednesday

百姓のかがみ・・鑑

先日、急遽遠路来客がこられた。せっかくだというので・・・料理屋に行こう・・・どこも予約でないとダメ・・・

 普通の 釜飯店に入ることとなった・・・・そこでの話・・・「 与作さん、松村清造さんのところの ピロールトマトが欲しくて来た。自宅に立ち寄ったら、今日はもう売り切れでないという・・明日昼までまって・・・」

 その中で・・・松村さんのことを与作さんの師匠が・・・「 松村は、百姓の鑑だ・・」と言われたらしいと。
 その「 かがみ 」とは、どういう意味なのかのう・・・??

 いきなりの質問に、いささかとまどったが・・・酒のいきおいもあって・・・「 やはり、松村さんには心底からのわが身のために。わが欲のためにというものがみあたらないのですよ・・・あのピロール野菜を40種類も作っておられる
福井の今村さんもそうですがね。皆様の喜んでもらえるように・・お子さんの身体によいものを作ろう・・・この気持ちがとてもとっても大きい・・そういう人のことを  神門師匠は、「松村は百姓の かがみ だ!!」と褒め称えたのでありますよ。


 この神門師匠は・・私がお連れした方々をほめない先生でしたね。200人ぐらい連れていって・・たったの 3人でしたね。  松村清造さん  京都の岡田社長  そして、亡き 酒井 弥理学博士だけ。


  百姓のかがみ ・・・鑑 ・・・まわりの百姓の 「 模範となる人物である 」がある。

  ● なんと言っても、松村さんご夫婦は・・・トマトハウスの中で・・・ラジオをかけている。そんじょそこらの民放番組じゃないよ。NHKでもないよ。・・・・瀬戸内寂聴さんや、親鸞などの講和録を 大きな音でかけて聴きながら仕事をしているのだよ・・・すごいよ、自宅には、人生の生き方などのテープが一杯あってね。「 黒田さん、貸して上げるよ。聴きなさいね。良いこといってるよ 。」 どう、皆さん・・・オレッて・・・「水森かおり」だものなぁ〜

 ● この話を聴いた・・斉藤さん( 福井ピロール会会長・全国ピロール会副会長 )・・・よしっ、松村さんはえらいものだぁ〜  俺もハウスで・・やるぞぉ〜  野菜に講和を聞かせる・・かしこいピロール野菜が取れるぞお・・

 ● 斉藤さん・・・なにっ!!  あなたが聞くのじゃなくて。ピロール野菜に聞かせるのかいなあ
2013.06.26 Wednesday

内村鑑三の言葉・・明治33年


内村鑑三氏の言葉である。・・・今もそのまま通用するのだから・・・真理と言えよう。
人間そのものはあまり進歩していないのである。・・・少し長いが読んでみてくださいね。



● 金と幸福
                               明治33年4月25日

 何が幸いで何が不幸であるかは、誰にでもすぐ分かる問題のように見える。世間の人は、百人が百人まで、幸いとは、金持ちになることで、不幸とは貧に苦しむことであると信じている。しかし、少し深く考えてみると、以上の定説は、全く当てになるものではないことが分かる。今少しだけその理由を述べよう。

 金が沢山あっても、それで必ずしも幸福であると思うのは大間違いである。なるほど金があれば美味い物も食える。美しい服も着られる。金さえあれば、家なし猿となって、広い都を隅から隅まで家主に追い立てられる心配はない。

金があれば旅行もできる。夏は避暑、冬は避寒、金が沢山あって、茶代を沢山振り撒(ま)くからこそ、今日の日本においては、快適で楽しい旅行ができるのであって、金がなければ、いかに東洋の君子国であっても、誰一人我等を顧みてくれる者はない。

それだから明治の太平の世の今日は、誰も彼も金を欲しがる。位階勲章も、金で買えないことはない。金権を握ることは、実際、政権を握ることであって、金さえあれば、堂々とした太政府をも自由にすることができるそうだ。

今の学士や博士を始めとして、教育家、宗教家、新聞記者に至るまでが、何よりも金を欲しがるのは無理なことではない。

 しかし、それならば金さえあれば何でも買えるかというと、それはそうではない。政府も政党も議院も代議士も買うことのできる金で、買えないものはないはずのように見えるが、実際は決してそうではない。

先ず第一に、健康は金では買えない。金さえあれば、医者が自由になるから健康も金で買えると思うのは、大間違いだ。医者は健康を与えてくれる者ではない。医者にすることができることは、天然力の援助を借りて、損ねた健康を少しだけ元に返すまでである。

もし金で健康を買うことができるならば、何故に金持ちに病身が多いのか。常に医者のドル箱となって、医学社会を肥やすものは、貴族や高官の類ではないか。もし貧乏人のように上流社会の人たちがみんな健康であったならば、御医者様たちはたいてい飢え死にしてしまうであろう。

 金では健康を買うことはできないだけでなく、金は全体に健康を損ねるものである。ナポレオン大帝が言ったことがある。「食い過ぎて死ぬ人は、食い足らずに死ぬ人よりも遥かに多い」と。

空腹は人体に害はあるけれども、満腹ほどには害はないそうだ。胃の腑を一つの化学機械のように思って、ビール、ブランデー、ウイスキー、正宗と、何でも注ぎ込み、牛肉、鶏肉、羊肉、豚肉と、何でも詰め込んで、それで消化作用を強いることだから、金持ちの胃の腑はたまらない。

彼等の消化器がたちまち狂いだして、ついにまた金を使って健康を回復しなければならないようになる。金を使って健康を損ねて、金を使ってこれを回復する。貴族の身体は毀(こわ)したり、作ったりする土人形のような物であって、金があるがゆえに、彼等はこの起死回生の苦痛を受けなければならない。

 知識もまた、必ずしも金で買えるものと思うと大間違いだ。なるほど金が無ければ小学校へも入れない。中学と大学とは、今日のところでは、金の乱用所であって、高い月謝を払ってボートこぎや、兵式体操を稽古するというのが、今の教育である。

別に文部省の高等官に賄賂を贈ると言うのではあるまいが、実際のところ金が無くては博士の号はもちろん、年俸わずか八百円にしか価しない学士の号さえ得られない。貧と無学とは付きもののように見えて、学とは金の知化したもののように思われるのが、今日の社会の状態である。

 しかし、これに引き換えて、貴族や金持ちの子弟に白痴が多いのは、我々が注意すべき事実である。

学位さえ得られるならば、千万金をも惜しまず投じようという貴族たちの子弟が、自転車に乗ることと、小鳥を撃つことの他は、学業が少しも進歩しないのは、なぜであろうか。我々が大いに攻究すべき問題である。

華族学校から大学者が出た例は、未だかつてわが国には無い。華族といえば、たいていは「馬鹿」という形容詞を付けるのが通常であって、平凡な知識を具えた者が、華族社会では貴族院議員として選挙されるということである。

 たとえまた、金力で大学を卒業することができ、後はこの国の習慣にしたがって、ドイツに四五年間留学して、ドクトルのメッキを掛けたにせよ、それで必ずしも学者になれるものではない。

学者とは、活きた百科事典ではない。支那日本流の学者のように、何でも物事を多く知るのが、学者の本分ではない。学者は物の理を弁えなければならない。すなわち、一物と他物との関係を明らかにしなければならない。

単にすべての知識をごった混ぜに頭脳に押し込んでも、それで学者となったのではない。世にはそういう学者がないではない。僕等の見るところでは、帝国大学辺の学者の多数は、そういう種類の学者である。すなわち活きたエンサイクロペディアである。

引証の区域の広い者が、学者として仰がれるのであって、何故に石は石で、人は人であるかなどということを攻究する者は、狂人の中に数えられる。それであるから、常識の有る人から見ると、これらの学者は、とんでもないことを言っている。

キリスト教は、その経典が少ないから、学ぶのが甚だ簡単な宗教であるなどという説が、彼等の中に行われる。ゆえに実は今日世に学者と称する者ほど迂遠な者はない。事を知って事を知らないとは、今の多くの学者に当てはまることであって、彼等はやはり明きめくらの一種である。

 真正の学は、天からの賜物である。ニュートンは学識によって、引力の大理を発見したのではない。これはインスピレーションとして、天から彼に臨んだ真理である。もちろん学識がなければ、彼はそれが大真理であることを認めることができなかったに相違ない。しかし、学識ばかりで全宇宙を統一するこの大真理を発見したのではない。

高等科学は、詩術の一種であることは、少しでも科学発見史を調べてみると分かる。アルキメデスの比重量発見から、エジソン、マルコーニの近世の発見に至るまで、科学的大発見はみなインスピレーション作用によって成ったものである。

金で買われた詩に詩らしい詩がないように、金で募集された発見に、文明に大進歩を供した発見は無い。

金儲けを目的として明治政府の要求する倫理教科書を書くことはできるし、源氏物語の注釈を綴ることはできるけれども、金を目的としてダンテの「神曲」もミルトンの「失楽園」も書かれなかった。世には学問以上の学問がある。そしてこの学問以上の学問は、とうてい金で買えるものではない。

 名誉もまた、必ずしも金で買えるものではない。見たまえ、総選挙の時の政治家どもの狼狽を。彼等は何を目的にしてこの馬鹿らしい競争のために、祖先から譲り受けた貴重な財産を湯水のように費消するのか。

彼等は何も必ずしも代議士となって、節を売って一儲けしようというのではない。儲けだけが目当てでは、容易に彼等のように狂人じみたことをできるものではない。彼等には実に金よりも欲しいものがある。それはすなわち名誉である。

代議士となって国政に参与することができ、大臣をも呼び捨てにすることのできる名誉である。彼等は学問をもっていないので、博士となって天下に鳴り響くという野心を抱くことができないから、せめて代議士の肩書を得て、政界で活躍しようとしきりに焦るのである。

世に名誉ほど高価なものは無い。代議士の肩書を得るためには、愚夫は万金をも惜しいとは思わない。金で名誉が買えるならば、彼等は身代を傾けてでもこれを得ようと努めるのである。

 しかし、名誉は金では決して得られない。金で得られたものは、代議士か県会議員の名称であって、名誉ではない。名称と名誉とは、詞はよく似ていても、実は大いに違っている。名誉は人物の真価に伴っているものであって、これはとても金で買えるものではない。

もし名誉が金で買えるものならば、株屋も釈迦や孔子と成ることができる。名誉とは、真理の伝達者または実行者と成ることのできる品位であって、これは造物主の他、何人も、何物も人に与えることのできるものではない。

正三位の位と、陸軍大将の職とが西郷隆盛の名誉ではなかった。彼の名誉は、維新の大理想を日本人に供したことにあった。

引力の法則を発見した名誉、アフリカの土蛮に福音を伝えたという名誉、平民主義を維持して、これを実行した等の名誉はあるけれども、代議士と成ったという名誉とか、正二位大勲位を賜ったとかいう名誉が有り得るはずがない。名誉とは精神的のものであるから、これは物質を代表する金で買えるものではない。

 もちろん安心は、金で買えるものではない。買えないどころではない。金は安心を取り去るものである。金は決して悪いものではない。しかし、安心を与えるものでないことだけは確かである。

人は金を得て、同時に責任を託されるものであるから、もし安心が彼の欲するものならば、彼は金を得ない方がいい。

フランスのある政治家が、「どこかに安眠を売っている所はないか」と言ったことがある。金持ちには土蔵もある。別荘もある。衣服もある。馬車もある。しかし、安心だけは決して無い。金で安心が買えるだろうと思うのは、余りにも馬鹿げきった思考であって、この事については、ここで長々しく述べる必要はない。

 それだから、金持ちになることは、必ずしも幸いなことではない。多くの家は、金が有ったゆえに倒れた。多くの人は金を持ったゆえに身を持ち崩した。金ゆえに紛争の絶えない家はいくらもある。

金が有るために病を醸し、金が有るゆえに学問を怠けたり、金が有るゆえに心に喜びも平安も無い人は、世間に沢山有る。

金が幸福の基であるなどとは、嘘の絶頂である。もちろん幸福は、金に伴っている。しかし、貧にも伴っている。貧富の間に別はあるが、しかしこれは、決して幸と不幸との別ではない。


                   完

タグ: 内村鑑三
2013.06.26 Wednesday

イベント開催


今朝から雨になりましたね。草刈を婿さんに頼んだのですが・・・次回にということで・・



6月29日(土)に、鯖江嚮陽会館で開催されるさばえ環境フェアにピロールも出展します。是非お越しくださいませ。


午前10時ごろから 午後4時までだよ・・・・・私もおりますよ。
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