2014.07.28 Monday

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2012.12.31 Monday

紅白で、・・・

紅白で、徳永さんが歌っていた。坂本 九 の「上を向いてあるこう・・・」
 そうなんだな・・・どんなにツラクても、世の中 ひっくりかえっても、 涙がこぼれぬように・・
 上を向いて、歩こう !!!
きっと、できるさ !! 新しい年になるのだ。




●上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
思い出す春の日
一人ぼっちの夜

上を向いて歩こう
にじんだ星を数えて
思い出す夏の日
一人ぼっちの夜

幸せは雲の上に
幸せは空の上に

上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
泣きながら歩く
一人ぼっちの夜

思い出す秋の日
一人ぼっちの夜

悲しみは星の影に
悲しみは月の影に
上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
泣きながら歩く
一人ぼっちの夜
一人ぼっちの夜 ●
2012.12.31 Monday

反省なしの自民党


あるブログからなのですが・・・・日経によると国が、倒産企業を一兆円あまりで買い上げたとあるらしいです。


●今、ヨーロッパが衰退の一途をたどっているのも、保護が行き過ぎたためであり、企業が工場を閉鎖することもできず解雇することも出来ない社会になりつつあり、これでは企業は新しくビジネスを始めたり工場を作ったりしなくなります。
既存の工場も赤字を垂れ流すだけになり、給料もじわりじわり下がり、従業員もやる気をなくし、結果、全てが衰退することになります。

また、この1兆円で買い取った設備は企業からすれば不良資産であり、屑同然となりますが、それを国が所有してではその後は?
税金で穴埋めするしかありません。

国民が企業の失敗を税金で穴埋めすることになるのです。

自民党政権になって、昔に戻るどころか、更に暴走をしていますが、果たしてこの暴走を国民・マスコミはどう判断するでしょうか?

自民党がダメで民主党政権を作ったものの『こんなはずではなかった』と思った日本人も多くいましたが、今、
自民党政権に戻り、『こりゃ、だめだ』とあきらめの境地になり始めた国民も出てきているかも知れません。

朝日新聞は以下のような社説を載せています。
『(自民党)反省ゼロですか?

これは原発新増設問題に関連して書いている社説ですが、以下のような書き方をしています。

『脱原発への航路や速度に異議の余地があるにしても、乗客が船に乗り込んだとたん、逆方向に舵を切るようなやり方は、政治の信頼性に関わる。これでは「反省ゼロ」政策だ。』

今の政治の動きを見れば、信頼性などどこにもないのはわかります。

政治家を信じてはいけない。

「情けない」という一言で済ませることができる問題かどうか。

年末年始のバカ騒ぎするTV番組を見ながら、日本人はどこに向かうのでしょうか?
正に、バカ騒ぎの テレビ番組なのだが、ほとんどの国民は事の暗部・深部に気づかないままながされてしまう。・・・・高学歴社会になったのに・・・こういう視点で世界を見つめられるのは、ほんのひとにぎりですな。

2012.12.31 Monday

教育の怖さ・・すばらしさ

大槻教授の・・・ブログから貼り付けます。
 前から指摘されていることではあるが・・・・・黙殺している日本の教育家は、穴に入りたいのではなかろうか・・!!

 人間という生き物は・・・・親からの教え、国( 為政者 )からの教えで、若者時代のほとんどの活動が決められてしまうのだ。教育は すごく怖いことでもあるが、すばらしいともいえる




●尖閣問題に関して中国民衆の抗議は凄まじかった。石原元都知
事の挑発ぶり、その後の民主党政権の尖閣国有化も火に油をそそ
ぐ結果になったが、中国民衆の怒りはすごかった。これは単に抗
議の域を超えて、暴動、暴行、破壊、略奪まで発展した。日本製
の車はそれが単に日本のメーカーの名前だという理由だけで破壊
されたから日本車を持っている人人は出歩けなかった。日本の工
場は破壊され、日本の店は略奪された。韓国の旅行者が日本人と
間違えられて襲撃された。
 これは単なる政治的抗議ではない。ここが重要なポイントであ
る。政治的な抗議ではなく、日本に対する恨み、呪い、憎しみで
あった。デモというより憎しみのテロであった。これら日本、日
本人、日本企業に対するテロは当然若者が中心であった。実際の
日本の侵略で被害を受けた70歳以上の年寄りではなく、その被
害を受けない孫の世代がやったテロだ。

 何故、直接日本軍の侵略を知らない孫の世代が日本憎しのテロ
をやったのか、そしてやるのか。それは中国共産党の長い年月行っ
てきた子供たちの教育の成果なのだ
。中国共産党は日本の侵略が
いかにひどいもの、非道なものであったかを徹底的に教え込んだ。
そのひどさがひどければひどいほど、その侵略と戦った中国共産
党の偉大さが強調されてくる。だから中国の学校現場ではこれで
もか、これでもかと、日本軍侵略の非道さ、悲惨さが教え込まれ、
それと勇敢に戦った中国共産党の偉大さが浮き彫りにされる。
 したがって今民衆が、今になって、今になったからこそ、日本
にテロをしかけて暴れまわるのは中国共産党の教育の結果なであ
る。中国共産党のジレンマがここにある。このまま日本憎しの教
育をつづけて行けば日中関係はもとより、東アジアの破滅につな
がる。真に中国の指導部が優秀かどうかが今試されている。●
--
2012.12.31 Monday

こういうことって、語りつがなきゃあ・・・

もっともっと、歴史教育を・・・学校でやらないと・・・ますます、平和ボケの学生を作り上げるだけ。
 豊かになるという・・・本質を間違えてしまう。

●サイパンで見た「小さすぎる戦車」  岩見隆夫
2013.01.19 Saturday name : kajikablog
昨年の大晦日、常夏のサイパン島にいた。船旅の寄港地である。前日、グアム島に上陸、北上してロタ島、テニアン島を右舷に見ながら着いた。

サイパンの正式名称は米国自治領北マリアナ連邦、グアムが最大で、二番目のサイパンは東京二十三区より少し小さいくらいだ。年間通じて気温の差がほとんどなく、平均約二五度、周囲をサンゴ礁に囲まれ、美しい。

〈玉砕の島〉としてだれでも知っているが、訪れるのははじめてだった。

高齢者向きの〈サイパン半日車窓観光〉のバスに乗り、ラストコマンドポスト(旧日本軍最後の司令部跡)、バンザイクリフ、砂糖王公園(日本統治時代にサトウキビ産業で財をなした砂糖王・松江春次の記念公園)の三カ所を駆け足でめぐった。

車窓の風景はのどかそのものだが、中年日本人女性のガイドさんが語る玉砕悲話は胸に刺さる。ことに北端のバンザイクリフ(崖)、絶壁には米軍の艦砲射撃でえぐられた大きな穴がいくつも残っていた。

「みなさん、『天皇陛下バンザイッ!』って叫んで……。女子学生は手をつないで〈仰げば尊し〉を合唱し、歌い終わったところで飛び込んだそうです。お母さんたちも、子どもを先に投げたり、抱いたりして……」

などとガイドさんの話には次第に熱がこもり、車内はシーンとなる。近くの空き地には、日本軍の兵器類の残骸が、放置されているのか、陳列しているのか、散らばっていた。なかに赤茶けた小型戦車が鉄くずのようになって一台。

「これは二人乗りで、一人が操縦し、一人が射撃するのです。あのころはクーラーなんかなく、車内は三五度くらいあったそうで、もう大変でした」

と、きのうのことのように言う。それにしても、本当に二人乗れたのかと思うくらい、小さい豆タンクだ。米軍との物量の差を見せつけているように思えた。

「これが日本です」というガイドさんの言葉があとまで耳に残った。


サイパンに米軍が上陸したのは敗戦前年の一九四四(昭和十九)年六月十五日である。この島は旧軍の大本営が設定した絶対国防圏で、海軍にとっては最重要拠点だった。だから、海軍は総力戦を展開したのだ。

日本軍三万に対して米軍七万、十九日から二十日にかけてのマリアナ沖海戦では、日本側が虎の子の空母三隻を失うなど壊滅的打撃を受けた。地上戦でも物量の差はいかんともしがたく、七月七日最後の攻防戦で日本軍守備隊は全滅、非戦闘員約一万人も道連れとなる。

追い詰められて次々に身を投げた悲劇のバンザイクリフが観光名所になっているのは釈然としない。しかし、それでも戦争とは何かを語るアカシとして残してほしい、とも思う。

■「これが日本です」あの無謀に通じるもの

当時、大本営はサイパン玉砕を隠していたものと私は思っていた。だが、玉砕から十一日後に発表したという。帰国して調べてみると、七月十九日付の『毎日新聞』には、

〈サイパン全将兵 壮烈なる戦死 三指揮官を陣頭に 七日最後の突撃 戦闘参加邦人も共に〉の大見出し。その横には、一段と大きい活字で、

〈東條首相力説 決戦の機は来れり 誓って敵を撃摧せん〉

の見出し。記事は、〈真の戦争はこれからである。一億決死の覚悟を新たにし、……究極の勝利を獲得し、以て聖慮を安んじ奉らんことを……〉と結んでいる。

ソロモン諸島のガダルカナル島激戦以来、〈敗北〉を〈転進〉などと言い換え、劣勢を隠し続けてきたのを、サイパン玉砕を境に発表に踏み切ったのは、さらに過酷な戦いに備えるよう、国民に覚悟を促す狙いからだった。しかし、米軍の上陸は翌年にかけ、レイテ島、ルソン島、硫黄島と続き、そしてついに四五年六月、沖縄本島の全滅に至る。

一方、サイパン占領によって有力な航空基地を確保した米軍は、四四年末からB29爆撃機による本格的な日本本土への空襲を始めたのだ。翌四五年八月、原爆搭載のB29が広島、長崎に向け飛び立ったのは、隣のテニアン島からである。

ところで、七十年近く前、日米戦争の転回点となった運命の島、サイパンを一度は訪れたいと思い続けてきたのは、当時すでに生をうけていた日本人(私は玉砕の時、八歳)としての礼節のような感情かもしれない。一つ荷物を降ろした気分になった。かわって、ガイドさんの、

「これが日本です」という言葉がひどく引っかかる。もちろん、ちっぽけな戦車の残骸を指して、である。こんな貧弱な装備で豊かな超大国・アメリカを敵に回した日本の無謀を、現地に暮らす日本人の実感として口にしたものだ。

しかし、この短い言葉は、いまの日本にも当てはまるのではないか、と私は思う。かつての敵国は戦後同盟国になり、今日に至るのだが、この選択に誤りはなかった。戦後、とにかく平和が続いたことが証明している。

だが、平和が脅かされる事態がいつの日か発生した時(発生しかかっているのかもしれないが)、日本は大丈夫だろうか。安倍晋三首相が、

「国防軍の創設……」と言っただけで、右傾化批判が巻き起こる。批判は構わないが、批判する人たちは自分の国は自分で守る、という当然のことをどこまで突き詰めて考えているのだろうか。

暮れに、北朝鮮は大陸間弾道ミサイルの発射に成功したが。直前に当時の藤村修官房長官が、

「さっさと上げてくれればいいのに」と軽口をたたいて、唖然とさせた。この平和ボケ症状は、かつて〈小さすぎる戦車〉で刃向かった無謀に通じるものがある。

<今週のひと言>

世の中、動き出したような。(サンデー毎日)●
2012.12.30 Sunday

一年が過ぎていった・・・

早いものである。皆様もそうお思いのことでしょうね。
 昨日も今日も、地元の役員会・引き継ぎなど所要のための会合・その中に、お悔やみが舞い込んで、早めのお参りに出かけた。昨日とは打って変わって一日中、雨である。隅のほうに残っておった残雪もほとんど消えてしまったのである。

 昨日も今日も、メディアは、ここ一年の総括を映像で繰り返し、説明をしているし、「 あぁ、そうだったなぁ〜 」「 あぁ〜 あの時のな・・」忘れるのも早い・・・・思い出すのはなかなかなのに・・・

 わが師匠の・・・酒井 弥博士は、よくこう言われておった。
 お母様に対してである( このご母堂は、もうすぐ 97歳になられるのだが、頭脳明晰なのだ、今もって、枕元には 月刊 文芸春秋がおいてある。 メガネが、チョコンと、開いたページに置いてあるのだ。

 すごいねぇ〜 酒井おばあちゃんって・・・・さすがは、北陸のエジソンと言われし 酒井博士を生んだお母様ですなぁ。

 この賢いお母様に向かって・・・博士は・・・「 あのね、母さん、電話番号なんて覚えていなくていいのよ。本に書いてあることは覚えなくていいのよ。開けば書いてあるのだから、わからない時にはそれを開けばいいのよ。」

 「 母さん、毎日毎日、玄関の雪のけ ( 除雪 )なんか、しなくていいのよ。寒いし、腰を痛めるのだから、雪なんて、春になれば、消えてなくなるのだから・・待っていればいいだけなんだから・・」


私は、酒井博士の自宅には、フリーパスみたいに出入りさせていただいたものなのだから、ネ。内輪の話も聞こえたものなのですよ。何分にも賢いおかあさまなのです。電話番号の20件や30件、全部覚えておられたのですわ・・・・良く、覚えておられるものだと、感心したもの。

そのときに・・・・そんなやりとりがよく聞こえたものでね。

しかし、あとになって考えても・・・「 そうだな、本に書いてあることなど、あまり覚えなくてもいいのだな・・」と思うようになっていった私。
 書いてないことを考える、思い描く頭になっていったほうがよいのだ・・・・と。書いてあることを全部信じなくもいいのだとも・・・・本当にそうなのか・・・と、疑うことも、発想を変えて俯瞰することが大切なのだということも・・・・それぞれの立ち位置において、そういうことを来年も思い・実行してゆきましょう。
 
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