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2012.03.31 Saturday
全く・・・・EM菌で除染だってさ
大槻教授のブログより・・・・
●貼り付け開始・・・・
Kさんから以下のご質問をいただきました。
いつもブログを楽しんで拝見しております。
さて、私の勤務している職場は福島県よりの栃木県です。
昨年の福島原発事故の影響で職場も汚染されています。
そこで来年度から職場をあげて大々的に除染?活動を行うようです。
職場の偉い人がどこで聞きつけて来たのかわかりませんが、放射性物質の除去にはEM菌が有効とのことで、近々その筋の専門家も呼んで職場理解を得た上で行動に出るようです。
このままでは大金をかけて間違った除染を行ってしまいそうです。
私はEM菌で放射線が防げるとか、セシウムがなくなるとかは信じられません。そんなに効果があるものなら国をあげて真っ先にEM菌に取り組むと思います。
しかし、EM菌を信じきっている人に放射能について話しても、なかなか理解してもらうのが難しい状況です。
どうか、お知恵を貸してください。よろしくお願いいたします。
大槻からの回答
それは困ったことですね。EM菌で放射能除去はまったくオカルトです。EM菌と言っても所詮微生物です。この微生物がセシウムを食べたとしても食べてどうするのですか。微生物が食べたセシウムを地下1000mぐらいまで移動してくれるのですか。放射能は原子核から出てきますから、EM菌が食べても無害化することはできません。
こんな非科学的なことに騙されてはなりません。私は4,5,6月、9,10,11月は栃木県北部に滞在しますからこれ以上の何か問題がありましたら直接ご相談にのります。●全く、いやになるなあ・・・シアノバクテリアでも放射能( これもいろいろあるのだし)ばかりは無害化なんてムリ。ソシテ、大槻教授がいわれるように・・・・セシウムの除染といっても洗い流すだけなので・・・セシウムを移動させるだけなのだと回答されていますからな。なくなるわけではありません。
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●貼り付け開始・・・・
Kさんから以下のご質問をいただきました。
いつもブログを楽しんで拝見しております。
さて、私の勤務している職場は福島県よりの栃木県です。
昨年の福島原発事故の影響で職場も汚染されています。
そこで来年度から職場をあげて大々的に除染?活動を行うようです。
職場の偉い人がどこで聞きつけて来たのかわかりませんが、放射性物質の除去にはEM菌が有効とのことで、近々その筋の専門家も呼んで職場理解を得た上で行動に出るようです。
このままでは大金をかけて間違った除染を行ってしまいそうです。
私はEM菌で放射線が防げるとか、セシウムがなくなるとかは信じられません。そんなに効果があるものなら国をあげて真っ先にEM菌に取り組むと思います。
しかし、EM菌を信じきっている人に放射能について話しても、なかなか理解してもらうのが難しい状況です。
どうか、お知恵を貸してください。よろしくお願いいたします。
大槻からの回答
それは困ったことですね。EM菌で放射能除去はまったくオカルトです。EM菌と言っても所詮微生物です。この微生物がセシウムを食べたとしても食べてどうするのですか。微生物が食べたセシウムを地下1000mぐらいまで移動してくれるのですか。放射能は原子核から出てきますから、EM菌が食べても無害化することはできません。
こんな非科学的なことに騙されてはなりません。私は4,5,6月、9,10,11月は栃木県北部に滞在しますからこれ以上の何か問題がありましたら直接ご相談にのります。●全く、いやになるなあ・・・シアノバクテリアでも放射能( これもいろいろあるのだし)ばかりは無害化なんてムリ。ソシテ、大槻教授がいわれるように・・・・セシウムの除染といっても洗い流すだけなので・・・セシウムを移動させるだけなのだと回答されていますからな。なくなるわけではありません。
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2012.03.31 Saturday
明るい日本になるか・・・・・?
武田先生のブログを読んだら、私が今朝ほどめーるを送った内容と同じことが書かれていた。
●貼りつけ開始・・・
あの明るかった日本に戻るために(2)・・・空気を事実としないで、事実を事実とする
とても重要なことがわかったような気がします。そして、あるいは私の長年の苦闘は意味が無かったのかも知れません。リサイクル、ダイオキシン、温暖化、そして国債や年金問題・・・こんなに簡単なことをなぜ知識も頭の回転も良い評論家が判らないのだろうか?と訝った(いぶかった)ものです。
ところが最近、あるテレビに出ているときに、その理由がよく判ったのです。テレビに出ているときには気が張っていますから、集中力もあり、普段気がつかないことを気がつくものですが、これもその一つでした。
明らかに事実がはっきりわかっているのに、目の前の評論家がそれを否定するのです。私は思わず声を荒げました。「これほど事実がはっきりしているのに、否定するのですか?」というわけです.その人はそれでも頑(ガン)として否定しました。その時、私ははっきりと判ったのです。その人の目は「わかっている」と言っていたからです。
私は「事実を事実として認める」のは誰でも否定できないと思ったのですが、その評論家は「事実より、空気(みんながそう思っていること)が事実である」という確信があるのです。みんなが「地球は平らである」と言えば平らであり、事実は地球が丸くてもそんなことは関係がないという考え方です.
「みんながそう思っていることが事実」というのは昔からあることです。たとえば中世のヨーロッパでは何か悪いことが起こると「魔女のせい」と言うことで、みんなで相談して普通のおばさんを魔女にして火あぶりにするということが長く行われてきました。これなども「空気を事実とする」という典型的なものです。
それの少し変形バージョンが「政府が言ったことをそのまま信じてはいけないのですか?」という問いです.2012年3月にある地方の人が質問したのにはビックリしました。なにしろ民主党が政権を取った選挙以来、今の政権が何回ウソをついたか数え切れないぐらいなのに、その事実を認めずに「政府は信用できるものである」という前提を崩さないのですから、日本人は本来、空気の中に生きているのではないかと思ったりしました。
・・・・・・・・・
「事実を事実とするのではなく、空気を事実とする」ということと「東京の評論家や官僚、東大教授」というのが密接に関係していることも納得できます。私は実験系の科学者でしたし、農業、建築業、工業、学校、医師・・・などは「事実は事実」としないと失敗します。目の前にある事実、科学的事実に基づかないと、すぐダメになるからです。
ところが、東京の人は食糧自給率1%、原発の電気は使うけれど核廃棄物もイヤだという架空の世界に住んでいます。だから、現実にCO2で温暖化してようとしていなくても、原発を動かせば廃棄物がでることも知っていますが、そんなことは関係なく、みんなが「CO2で温暖化している」、「核廃棄物はないも同然」と言えば、それを事実にしてもまったく困らないのです。
東京の人は力(政治、学問(東大)、報道(NHK))を持ち、お金が豊富ですから、「原発の電気はいるが、原発の運転の危険性は貧乏な福島と新潟がやり、廃棄物は青森がやれ!」と言っても、それで通る(つまり本当に事実になる)のです。
私が接している評論家も、「事実」を懇切丁寧に話してもほとんど興味がありません。「空気を事実とする」という強力なグループ(環境省、東大、NHK)がいて、それでしっかりとバインドをしているので、「事実」など認めなくてもちっとも困らない体制ができています。
科学的、合理的なことが認められない社会、それこそがかつての憲兵の社会であり、ソ連が崩壊した独裁の社会だったのです。ソ連の崩壊の最後に起こった「ペレストロイカ」、これは情報公開と訳されていますが、「空気(ソ連政府)による事実」から「事実を事実として見る」ということであり、それによってソ連の国民がなにが起こっているかを知ったのです。
2011年3月11日まで「被曝は危険」と言って来たのに、12日から「被曝は大丈夫」に代わったのは、被曝と健康に関する「事実」が代わったのではなく、事故があまりに大きいので被曝の法律を守ることができないと考えた人が作りだした「空気」が代わったからです。
日本にもペレストロイカが必要です。それには、多くの日本人が「何か変だ」、「政府は信用できない」と思っているその原因が「東京の評論家や学者による「空気を事実とする」という報道」にあることが判れば、また明るい日本に戻ることができるでしょう。● 全く、いやになるねえ〜
●貼りつけ開始・・・
あの明るかった日本に戻るために(2)・・・空気を事実としないで、事実を事実とする
とても重要なことがわかったような気がします。そして、あるいは私の長年の苦闘は意味が無かったのかも知れません。リサイクル、ダイオキシン、温暖化、そして国債や年金問題・・・こんなに簡単なことをなぜ知識も頭の回転も良い評論家が判らないのだろうか?と訝った(いぶかった)ものです。
ところが最近、あるテレビに出ているときに、その理由がよく判ったのです。テレビに出ているときには気が張っていますから、集中力もあり、普段気がつかないことを気がつくものですが、これもその一つでした。
明らかに事実がはっきりわかっているのに、目の前の評論家がそれを否定するのです。私は思わず声を荒げました。「これほど事実がはっきりしているのに、否定するのですか?」というわけです.その人はそれでも頑(ガン)として否定しました。その時、私ははっきりと判ったのです。その人の目は「わかっている」と言っていたからです。
私は「事実を事実として認める」のは誰でも否定できないと思ったのですが、その評論家は「事実より、空気(みんながそう思っていること)が事実である」という確信があるのです。みんなが「地球は平らである」と言えば平らであり、事実は地球が丸くてもそんなことは関係がないという考え方です.
「みんながそう思っていることが事実」というのは昔からあることです。たとえば中世のヨーロッパでは何か悪いことが起こると「魔女のせい」と言うことで、みんなで相談して普通のおばさんを魔女にして火あぶりにするということが長く行われてきました。これなども「空気を事実とする」という典型的なものです。
それの少し変形バージョンが「政府が言ったことをそのまま信じてはいけないのですか?」という問いです.2012年3月にある地方の人が質問したのにはビックリしました。なにしろ民主党が政権を取った選挙以来、今の政権が何回ウソをついたか数え切れないぐらいなのに、その事実を認めずに「政府は信用できるものである」という前提を崩さないのですから、日本人は本来、空気の中に生きているのではないかと思ったりしました。
・・・・・・・・・
「事実を事実とするのではなく、空気を事実とする」ということと「東京の評論家や官僚、東大教授」というのが密接に関係していることも納得できます。私は実験系の科学者でしたし、農業、建築業、工業、学校、医師・・・などは「事実は事実」としないと失敗します。目の前にある事実、科学的事実に基づかないと、すぐダメになるからです。
ところが、東京の人は食糧自給率1%、原発の電気は使うけれど核廃棄物もイヤだという架空の世界に住んでいます。だから、現実にCO2で温暖化してようとしていなくても、原発を動かせば廃棄物がでることも知っていますが、そんなことは関係なく、みんなが「CO2で温暖化している」、「核廃棄物はないも同然」と言えば、それを事実にしてもまったく困らないのです。
東京の人は力(政治、学問(東大)、報道(NHK))を持ち、お金が豊富ですから、「原発の電気はいるが、原発の運転の危険性は貧乏な福島と新潟がやり、廃棄物は青森がやれ!」と言っても、それで通る(つまり本当に事実になる)のです。
私が接している評論家も、「事実」を懇切丁寧に話してもほとんど興味がありません。「空気を事実とする」という強力なグループ(環境省、東大、NHK)がいて、それでしっかりとバインドをしているので、「事実」など認めなくてもちっとも困らない体制ができています。
科学的、合理的なことが認められない社会、それこそがかつての憲兵の社会であり、ソ連が崩壊した独裁の社会だったのです。ソ連の崩壊の最後に起こった「ペレストロイカ」、これは情報公開と訳されていますが、「空気(ソ連政府)による事実」から「事実を事実として見る」ということであり、それによってソ連の国民がなにが起こっているかを知ったのです。
2011年3月11日まで「被曝は危険」と言って来たのに、12日から「被曝は大丈夫」に代わったのは、被曝と健康に関する「事実」が代わったのではなく、事故があまりに大きいので被曝の法律を守ることができないと考えた人が作りだした「空気」が代わったからです。
日本にもペレストロイカが必要です。それには、多くの日本人が「何か変だ」、「政府は信用できない」と思っているその原因が「東京の評論家や学者による「空気を事実とする」という報道」にあることが判れば、また明るい日本に戻ることができるでしょう。● 全く、いやになるねえ〜
2012.03.31 Saturday
そのとおりだ・・・・と言いたい !!
武田先生のブログから、貼りつけるが・・・・・こういうことをどうしてメディアが取り上げて流さない日本となってしまっているのかと・・・・悲しく思うものですよ。
●貼りつけ開始・・・
あの明るかった日本に戻るために(1)・・・現代日本の病根と治療
東北大震災と福島原発事故を起こしたもの、それは現代日本に巣喰うかなり深い病根です。そしてそれを治療することが私たち大人の役割と思います.
病根の第一は「拝金主義」、第二が「空気を事実とすること」、第三に「ウソの容認」、そして第四は「黙れ!じいさん」です。いずれも傷はかなり深いので、一つ一つ考え、日本社会から変えていく必要があるでしょう.
・・・・・・・・・
第一の拝金主義: 日本の文化はお金を蔑みました(さげすむ)。特に社会の指導者として精神的な高貴さを大切にした日本の武士は、金銭に近づくことをいやがり、このことは新渡戸稲造の武士道に詳しく書いてあります。
明治生まれで京都大学の数学をでて大学の数学の先生になった私の父も、まだ武士の面影を持っていて、お金を嫌っていました。「京都大学」という大学は世俗のこととは離れた一風、変人が多いのですが、学問の府としてはとても立派なところだったと思います.湯川秀樹や朝永振一郎という日本で最初にノーベル賞を受賞した立派な学者が京都大学だったと言うことも偶然ではありません。
最近は「お金(研究費、会議費)をとれば優れた学者」ということになり、官僚と癒着し、ワインの種類に精通し、派手な背広をきる東大の教授が出現しています.私が会社の技術者から大学に移り、東大の先生などと頻繁に会合を持つようになって、最初に驚いたことは「東大の先生は勉強が嫌いなのだな」と言うことでした。
東大ばかりではなく、多くの大学の学長など本来なら人格高潔、学問一筋のはずが、出世することが目的で学長になった人が多いのにもビックリしました。
このような傾向は大学の先生ばかりではなく、官僚や政治家でも同じです.本来なら、大学教授、官僚、政治家などの職業は「お金」が目的ではなく、その社会的使命に没頭できる人でなければつとまりません。それが全く違うのです。
その意味では、私はプロ野球南海ホークスの鶴岡監督が「球場に銭が落ちている」と言われたのが日本の職業意識が大きく変わったキッカケになったと思っています.鶴岡監督自身は「プロ意識」を育てようとしたのです、それまでのスポーツ選手は「お金のためではなく、野球のために野球をする。俺は野球ができれば幸福だ」と言うことだったのですが、鶴岡監督の一言があまりに強烈で、またその時期に日本社会が「魂からお金」に代わるときだったので、彼の言葉は人口にも膾炙し、「お金まみれのスポーツ界」に変身しました。
契約金などが話題になり始めると最初は違和感をもっていた私たちも、いつの間にかプロスポーツの選手はお金で評価すると言うことになり、さらに高等学校までお金の影がちらつくようになったのです。
「好きで学問をする」、「日本のために政治や行政をする」、「野球がしたいから野球をする」という人はほとんど絶滅しました。このような行動パターンは「貧乏になる」と言うことではありません。私の言う「お布施方式」です。
「お金のために学問をしたり、本を書いたりするのではないが、たまたまが研究が評価されてノーベル賞をいただき賞金を手にするとか、良い書籍を書いたのでベストセラーになり、結果的に印税が入る」というのが私の言うのがお布施方式です.
お坊さん、先生、お役人、政治家というのは基本的には貧乏が似合っています.移動するのも車などは使わず、古びた鞄を持ってとぼとぼと歩いてくる偉い先生というのではなくてはいけないと思います.でも、時としてお礼の金子をいただき、ちょっと豊かになるという職業なのです。これが逆になっては社会がダメになるのです。
「古い時代を懐かしむ」というのではなく、それが「お金で人を判断しない日本文化」だからです。このような感覚の差は江戸時代の終わりに多くのヨーロッパ人やアメリカ人が日本を訪れ、日本人がお金に執着心のないことにビックリしています.むしろ、「お金を蔑む」という風潮は殿様にも庶民にもあって、殿様は質素を旨として板張りの部屋にゴザを敷いて生活し、江戸っ子は「宵越しの金は持たない」と言うことをホコリにしていました。
日本はキリスト教的な契約社会ではありません。精神構造も契約的ではなく、あうんの呼吸で全体を把握し、それに従って生きるという民族的特徴があります。だから「お金でものを測る」ということ自体がそぐわないと思います.
・・・・・・・・・一例を挙げます・・・・・・・・
40年前から「明日にも来る」と言われ続けてきた東海地震はまだ来ていません.その代わり、阪神淡路大震災、2回の新潟地震、北海道太平洋側の地震、それに今回の東北大震災などの巨大地震が連発しました。
なぜでしょうか? これもまた拝金主義の結果です.もともと地震予知ができないから「地震予知の研究を開始しよう」というのが東海地震の研究ですから、論理的に言って「東海地震型の地震に先立って起こる」ということはあり得ないのです.
東海地震が先に来ることが学問的に判っていたのではなく、東大地震研に税金(地震予知の研究費)が行ったから東海地震が先に来ることになった、その結果、他の地域の研究がおろそかになって、阪神淡路大震災の6000人、東北大震災の2万人が亡くなったということですから、拝金主義の罪は深いのです.
今回の原発再開問題でも、福井県の原子力安全委員の多くの人(大学教授)が審査の相手になる関西電力などからお金をもらって審査をしていたと言うこと、九州の玄海原発を受け入れた町長の兄弟が原発関係の仕事の9割近くを受注していた、瓦礫を引き受けるのに熱心な市長とその受注者が瓦礫引き受けに反対する一般市民を恫喝する・・・などなど拝金主義のために私たちは安全な生活が何かも判らなくなってきています.
原子力安全委員が2011年3月に福島原発が爆発した後、責任をとって辞任しなかったのは1650万円の年俸と関係があると考えて良いでしょう.事故を起こした当時に社長だった東電の社長は2億円から5億円の退職金を受け取ったと言われます.本当に武士としては恥ずかしい限りです.
まずは学校で「人生はお金ではなく、仕事に命をかけることが大切」と言うことを教えることです。日本には宗教があまり強い影響を発揮していないので、このような日本文化の基本の基本は日本人が合意して教育に入れていく必要があります.
第二に、新聞やマスメディアが拝金主義の報道を止めることです。例えばプロ野球選手やその他のスポーツ選手の契約金などの報道を止めるか、もしサッカーなどでお金が目的の場合「スポーツ」に分類しないことが大切と思います.
社会は色々な楽しみが必要ですから、「エンターテイメントなったスポーツ」も存在価値がありますが、それはあくまでもエンターテイメントであって、スポーツではないと思います。その点で、今のプロサッカーは全くスポーツではなく、ラグビーの方はスポーツと分類できると思います。
拝金主義を変えて行くには、庶民のお酒の席の話から、NHKのニュースの「今日の円ドル相場」の放送の中止など、あらゆるところでお金の話をせず、お金をバカにすることからでしょう。それによって、「お金を蔑み、学問、文化、魂を尊重する」という社会に少しずつ戻していく必要があると思います。
まず我々ができることは「お金持ちを軽蔑し、お金を軽蔑すること」で、朝起きたら「今日も朝が来たか」ということを神様に感謝し、その日を精一杯生きる、そういう昔ながらの日本文化を取り戻せば、日本は再び良い国になると期待されます。● ここまでしなくても、いいと思うがね。
●貼りつけ開始・・・
あの明るかった日本に戻るために(1)・・・現代日本の病根と治療
東北大震災と福島原発事故を起こしたもの、それは現代日本に巣喰うかなり深い病根です。そしてそれを治療することが私たち大人の役割と思います.
病根の第一は「拝金主義」、第二が「空気を事実とすること」、第三に「ウソの容認」、そして第四は「黙れ!じいさん」です。いずれも傷はかなり深いので、一つ一つ考え、日本社会から変えていく必要があるでしょう.
・・・・・・・・・
第一の拝金主義: 日本の文化はお金を蔑みました(さげすむ)。特に社会の指導者として精神的な高貴さを大切にした日本の武士は、金銭に近づくことをいやがり、このことは新渡戸稲造の武士道に詳しく書いてあります。
明治生まれで京都大学の数学をでて大学の数学の先生になった私の父も、まだ武士の面影を持っていて、お金を嫌っていました。「京都大学」という大学は世俗のこととは離れた一風、変人が多いのですが、学問の府としてはとても立派なところだったと思います.湯川秀樹や朝永振一郎という日本で最初にノーベル賞を受賞した立派な学者が京都大学だったと言うことも偶然ではありません。
最近は「お金(研究費、会議費)をとれば優れた学者」ということになり、官僚と癒着し、ワインの種類に精通し、派手な背広をきる東大の教授が出現しています.私が会社の技術者から大学に移り、東大の先生などと頻繁に会合を持つようになって、最初に驚いたことは「東大の先生は勉強が嫌いなのだな」と言うことでした。
東大ばかりではなく、多くの大学の学長など本来なら人格高潔、学問一筋のはずが、出世することが目的で学長になった人が多いのにもビックリしました。
このような傾向は大学の先生ばかりではなく、官僚や政治家でも同じです.本来なら、大学教授、官僚、政治家などの職業は「お金」が目的ではなく、その社会的使命に没頭できる人でなければつとまりません。それが全く違うのです。
その意味では、私はプロ野球南海ホークスの鶴岡監督が「球場に銭が落ちている」と言われたのが日本の職業意識が大きく変わったキッカケになったと思っています.鶴岡監督自身は「プロ意識」を育てようとしたのです、それまでのスポーツ選手は「お金のためではなく、野球のために野球をする。俺は野球ができれば幸福だ」と言うことだったのですが、鶴岡監督の一言があまりに強烈で、またその時期に日本社会が「魂からお金」に代わるときだったので、彼の言葉は人口にも膾炙し、「お金まみれのスポーツ界」に変身しました。
契約金などが話題になり始めると最初は違和感をもっていた私たちも、いつの間にかプロスポーツの選手はお金で評価すると言うことになり、さらに高等学校までお金の影がちらつくようになったのです。
「好きで学問をする」、「日本のために政治や行政をする」、「野球がしたいから野球をする」という人はほとんど絶滅しました。このような行動パターンは「貧乏になる」と言うことではありません。私の言う「お布施方式」です。
「お金のために学問をしたり、本を書いたりするのではないが、たまたまが研究が評価されてノーベル賞をいただき賞金を手にするとか、良い書籍を書いたのでベストセラーになり、結果的に印税が入る」というのが私の言うのがお布施方式です.
お坊さん、先生、お役人、政治家というのは基本的には貧乏が似合っています.移動するのも車などは使わず、古びた鞄を持ってとぼとぼと歩いてくる偉い先生というのではなくてはいけないと思います.でも、時としてお礼の金子をいただき、ちょっと豊かになるという職業なのです。これが逆になっては社会がダメになるのです。
「古い時代を懐かしむ」というのではなく、それが「お金で人を判断しない日本文化」だからです。このような感覚の差は江戸時代の終わりに多くのヨーロッパ人やアメリカ人が日本を訪れ、日本人がお金に執着心のないことにビックリしています.むしろ、「お金を蔑む」という風潮は殿様にも庶民にもあって、殿様は質素を旨として板張りの部屋にゴザを敷いて生活し、江戸っ子は「宵越しの金は持たない」と言うことをホコリにしていました。
日本はキリスト教的な契約社会ではありません。精神構造も契約的ではなく、あうんの呼吸で全体を把握し、それに従って生きるという民族的特徴があります。だから「お金でものを測る」ということ自体がそぐわないと思います.
・・・・・・・・・一例を挙げます・・・・・・・・
40年前から「明日にも来る」と言われ続けてきた東海地震はまだ来ていません.その代わり、阪神淡路大震災、2回の新潟地震、北海道太平洋側の地震、それに今回の東北大震災などの巨大地震が連発しました。
なぜでしょうか? これもまた拝金主義の結果です.もともと地震予知ができないから「地震予知の研究を開始しよう」というのが東海地震の研究ですから、論理的に言って「東海地震型の地震に先立って起こる」ということはあり得ないのです.
東海地震が先に来ることが学問的に判っていたのではなく、東大地震研に税金(地震予知の研究費)が行ったから東海地震が先に来ることになった、その結果、他の地域の研究がおろそかになって、阪神淡路大震災の6000人、東北大震災の2万人が亡くなったということですから、拝金主義の罪は深いのです.
今回の原発再開問題でも、福井県の原子力安全委員の多くの人(大学教授)が審査の相手になる関西電力などからお金をもらって審査をしていたと言うこと、九州の玄海原発を受け入れた町長の兄弟が原発関係の仕事の9割近くを受注していた、瓦礫を引き受けるのに熱心な市長とその受注者が瓦礫引き受けに反対する一般市民を恫喝する・・・などなど拝金主義のために私たちは安全な生活が何かも判らなくなってきています.
原子力安全委員が2011年3月に福島原発が爆発した後、責任をとって辞任しなかったのは1650万円の年俸と関係があると考えて良いでしょう.事故を起こした当時に社長だった東電の社長は2億円から5億円の退職金を受け取ったと言われます.本当に武士としては恥ずかしい限りです.
まずは学校で「人生はお金ではなく、仕事に命をかけることが大切」と言うことを教えることです。日本には宗教があまり強い影響を発揮していないので、このような日本文化の基本の基本は日本人が合意して教育に入れていく必要があります.
第二に、新聞やマスメディアが拝金主義の報道を止めることです。例えばプロ野球選手やその他のスポーツ選手の契約金などの報道を止めるか、もしサッカーなどでお金が目的の場合「スポーツ」に分類しないことが大切と思います.
社会は色々な楽しみが必要ですから、「エンターテイメントなったスポーツ」も存在価値がありますが、それはあくまでもエンターテイメントであって、スポーツではないと思います。その点で、今のプロサッカーは全くスポーツではなく、ラグビーの方はスポーツと分類できると思います。
拝金主義を変えて行くには、庶民のお酒の席の話から、NHKのニュースの「今日の円ドル相場」の放送の中止など、あらゆるところでお金の話をせず、お金をバカにすることからでしょう。それによって、「お金を蔑み、学問、文化、魂を尊重する」という社会に少しずつ戻していく必要があると思います。
まず我々ができることは「お金持ちを軽蔑し、お金を軽蔑すること」で、朝起きたら「今日も朝が来たか」ということを神様に感謝し、その日を精一杯生きる、そういう昔ながらの日本文化を取り戻せば、日本は再び良い国になると期待されます。● ここまでしなくても、いいと思うがね。
2012.03.31 Saturday
あるブログから・・・放射能をこわがる ?
福井の御仁が運営・更新されてるブログより・・・・
●貼りつけ開始・・・・今朝のNHKのテレビで食物の放射能のことが話題になっていました。
この放送は、「食物に放射能が含まれている」可能性があるからそれぞれを測定して安全を確かめながら販売している、というような内容だったと思います。(全部を見ていないのではっきりとは言えないんですが・・・・)
この種の放送はなにもNHKだけに限らず他のテレビ局でも同じような内容の放送をしています。
これはある一面では正しいのですが、「放射能がある、あるいは含まれている」という事実だけが一人歩きして、いらない不安をあおっているような気がしています。
これは私自身が体験したことなのですが、原子力発電所に勤めていた経験から、放射線について一般の人に説明したときに間違った知識が浸透していると感じました。
そこで、放射線とはどんなもので、今後どのように考えて行動していけばいいのかを私の視点でお話ししたいと思います。
ですが、最初に断っておきたいのですが、私は放射線の専門家ではありません。
ただ、原子力発電所に最近まで勤めていて、放射線に関する資格も取り、化学の知識が少しあり、少しは放射線についての知識は普通の人よりあるんじゃないかと考えています。
それでは始めます。
まず最初に、今話題になっているセシウムという言葉ですが、これは何故怖いんでしょうか?
この問いかけに正確に答えられる方はあまりいないと思います。
ですが、セシウム=放射線が出ていて危ない、または怖い、体に悪い。
こんなイメージではないでしょうか。
では、そもそも放射線とは怖いものなんでしょうか?
答えは、そうです 怖いものです。
ですが、その程度によります。
つまり、その多さ、量によります。
私たちは毎日ご飯や、魚、肉、牛乳などを食べていますが、その中にも放射性物質が含まれているのをご存じでしょうか?
こう問いかけると、放射線を出している物質はセシウムだけだと思いこんでる人はびっくりします。
生物の命を維持する3元素として、窒素、リン、カリウムなどがありますが、この中のカリウムは放射性元素を含んでいます。
カリウム40というやつです。
カリウムという名は受験試験にも出てくるので、知っておられる方も多いのではないでしょうか。
しかも、このカリウムを摂取しないと生命の維持が難しくなるんですね。
でも、放射線を出します。
他にも、ご飯などの炭水化物には炭素と水素で出来ていますが、この炭素や水素もごくわずかですが、放射性元素を含んでいます。
炭素14とトリチウムです。
でも私たちは、今まで普通に何の心配もせずにご飯を食べ、魚を食べ、お肉を食べてきました。
これらには放射性物質を含んでいるにもかかわらずにです。
カリウムに至ってはカリ肥料として田んぼや畑にまいている農家があります。
つまり化学肥料としてですね。
そしてそこで育った野菜などを私たち人間が食べているのです。
でも、放射線による障害は発生していません。
ですから、その程度なんですね。
塩も同じですね。
適度に使えば漬け物などには欠かせないものですが、摂取しすぎると高血圧になります。
お酒も同じですね、適度に飲めば百薬の長になりますし、過度に摂るとアルコール依存症になります。
昔と言ってもそんなに昔ではないですが、アメリカ、イギリス、フランス、中国、ソビエトはこぞって核兵器の開発を行い、原子爆弾を地上あるいは大気中で爆発させてきました。
この時生じた核分裂生成物は大気中に舞い上がり、そして地上に降ってきました。
でも人々は地上で作物を作り、魚を捕り、食べてきました。
私はこの事もって放射線は安全であるというようには考えません。
が、放射線は正しく怖がりましょう。
と考えています。●貼り付け終わり・・・・・つまり、バナナの中にも、カリウムが多いわけなので、放射能が怖いならば、バナナを食べてはよろしくないと言わなければならなくなってしまう・・・・ってこと。
2012.03.31 Saturday
わが母校の100周年
わが母校・・・・ふくま小学校 ・・・・今年の7月7日に100周年記念行事の開催を企画しておられるようですよ。
私にも、・・・一筆・・「 桜 」の表紙をかざる文字を・・・依頼されている。まあ、恥ずかしながら光栄である。
また、関係者から・・・寄稿文も依頼されており・・・・下記のようにしたためて・・・・メールで担当の先生にお送りした。丁寧な返事が返ってきております。
●貼りつけ・・・・
服間小学校創立100周年に思う・・・
ひらがなの「ひと」が住む、わがふるさと ふくま
元服間っ子みまもり隊長 黒田与作
私がふくまに生まれ、学び舎にいたのは50年前のことです。
人間は、学び舎・とくに小学校での6年というものはどんなに年を重ねても
思い出が深く愛着のあるものですね。人間は「学び・遊び」と言うものを通じて、「 ことば・思慮」を深めます。
ことに、初期教育・初期環境はそのこどもさんの一生を決めかねません。
それゆえにそこに集う、先生・教育者・親御さん・関係各位の「こころ」が大切になりますね。
わが住む日本国は、世界の中でも豊かな国といわれますね。わが住む福井県、全国でも住みやすい安心な県といわれますね。皆さんが夕べには家庭に戻り、ご両親や兄弟共に食事をとり語り会い、しずかな眠りに入る安住の家はこのふくまの地にあります。そして、子供たちが学び集い楽しむ服間小学校があります。
私はこの服間地区には、ひらがなの「ひと」がたくさんおられることに喜びと幸せを感ずるものです。敗戦後の日本人は「ひと」を好きになれずに「 物・金 」を好きになってしまったようです。そういう中、地元の郵便局・地元の公民館・集うひとびとの会話を聞くたびに・・うれしいなあ・・・・・服間にはひらがなの「ひと」がいるなあ〜と喜んでおります。50年前の「日本人が先祖から受け継いでいる心があるのですね。そういうふくまの地で、子供たちが、孫たちが学べることを私も喜び、皆様も喜んでおられると思うものです。
服間の地は、校歌にあるように・・・ みなもととおく、みず清く、ながれて絶えぬふくまがわ・・・・
これからの100年も、流れて絶えぬ・・・元気で笑い声のする学び舎になっていってほしいものです。
創立100周年を心よりお祝いいたします。 ●
私にも、・・・一筆・・「 桜 」の表紙をかざる文字を・・・依頼されている。まあ、恥ずかしながら光栄である。
また、関係者から・・・寄稿文も依頼されており・・・・下記のようにしたためて・・・・メールで担当の先生にお送りした。丁寧な返事が返ってきております。
●貼りつけ・・・・
服間小学校創立100周年に思う・・・
ひらがなの「ひと」が住む、わがふるさと ふくま
元服間っ子みまもり隊長 黒田与作
私がふくまに生まれ、学び舎にいたのは50年前のことです。
人間は、学び舎・とくに小学校での6年というものはどんなに年を重ねても
思い出が深く愛着のあるものですね。人間は「学び・遊び」と言うものを通じて、「 ことば・思慮」を深めます。
ことに、初期教育・初期環境はそのこどもさんの一生を決めかねません。
それゆえにそこに集う、先生・教育者・親御さん・関係各位の「こころ」が大切になりますね。
わが住む日本国は、世界の中でも豊かな国といわれますね。わが住む福井県、全国でも住みやすい安心な県といわれますね。皆さんが夕べには家庭に戻り、ご両親や兄弟共に食事をとり語り会い、しずかな眠りに入る安住の家はこのふくまの地にあります。そして、子供たちが学び集い楽しむ服間小学校があります。
私はこの服間地区には、ひらがなの「ひと」がたくさんおられることに喜びと幸せを感ずるものです。敗戦後の日本人は「ひと」を好きになれずに「 物・金 」を好きになってしまったようです。そういう中、地元の郵便局・地元の公民館・集うひとびとの会話を聞くたびに・・うれしいなあ・・・・・服間にはひらがなの「ひと」がいるなあ〜と喜んでおります。50年前の「日本人が先祖から受け継いでいる心があるのですね。そういうふくまの地で、子供たちが、孫たちが学べることを私も喜び、皆様も喜んでおられると思うものです。
服間の地は、校歌にあるように・・・ みなもととおく、みず清く、ながれて絶えぬふくまがわ・・・・
これからの100年も、流れて絶えぬ・・・元気で笑い声のする学び舎になっていってほしいものです。
創立100周年を心よりお祝いいたします。 ●
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