2014.07.28 Monday

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2010.10.31 Sunday

ビフォーアフターという番組がある・・・。

我が家は、この番組がお気に入りであ〜る。なぜなのか、なんといっても、最後のほうに描かれている、写されている施工者家族のあの「 笑 顔 」「 よろこびに満ちた笑顔 」「 喜びの涙 」これらがお気に入りの理由であろう。

やはり、人間というものは赤の他人でも、喜んでいる顔・笑っている顔を見るのは気持ちがよくなる。明るくなる。時には涙をにじませてまで、ともに喜んでしまうのだ。感動・感激をよぶという・・・・・これが、この番組の喜ばれるゆえんである。
 なぜに、こういう感動がおきるような・・・・・番組をもっと流せないのであろうか。この日本にたくさんおられるはずの番組制作プロデューサーに奮起をのぞみたい。そして、この民族に笑いと希望をもっともっと与えてほしいと念願する。できないはずはない。
 なぜなら、明治維新直後におかかえ化学教師として来県( 越前・・・今の福井県)した( 要請したのは松平春嶽 )
ウイリアム・エリオット・グリフィスは、明治3年の越前の国の住人を見て、観察して・・・・「 こんなに明るい人間を私は見たことがない、スイスなど西欧も歩いてきたが、こんなに垢抜けて明るい人種ははじめてみる 」のだと感嘆しているのであります。そうなのでした。明日は、どうなるかわからない、明日の飯もわからない橋の下に野宿している乞食までもが、明るいのだ、笑っているのだ・・・・これを見て、グリフィスは、正直ビックリ仰天しているのだ。( グリフィス日記に記されている)
 そうなんですよ、私どもには・・・・・このDNAを温存しているのです。それをみつけて、育てて、皆で笑いあいましょうではありませんか・・・・越前の、橋の下の乞食でも笑っていたというのですよ。
2010.10.30 Saturday

忘れるという、私の特技・・・ ! ?

ピロール与作さんは、特技がある。一番のお勧めは( 聞いていない。薦めてもらいたくないという方はここで閉じる)

「 忘れる 」「 忘 却 」ということである。我ながら感心するほどである。不思議でもある。ところが、廻りにはすばらしく「覚え」のよい方がおられるのだ。
タマにであるが・・・・「 与作さん、選挙にでないのかい・・・」といわれることがあった。その問うたひとに・・・こう答えている 「 ああ、そうだね。ご推挙に感謝です。が。ところが私には・・・・ここぞという欠点があってね。相手の顔と名前が一致しないのよ。つまり、一度あった人が覚えておれないのよ。なあ、こんな男に先生は務まらんよ。皆に笑われるだけよ。」と。
 私の短い人生体験ながら、代議士先生らの対応のうまさというか、顔を覚えておられる能力には感心するものがございましてねえ・・・・「 あっ、黒田です・・・」「 ああっ、あのピロールとか・・・ご活躍ですなあ・・」「 よお、覚えておるのう・・」奥様でもそうである・・・旦那をひきたてる奥様がおられるのだ・・・・先日もである。ある方のお悔やみに行ったときのこと・・・・その奥様に久しぶりにあったのであるが・・・・「 奥さん、今日は先生は他の行事にですか・・・」「 ああ、今日の新聞記事にあるふくま小学校のお米販売って、もしかしてあのお米かなあ・・・って 。ああ、やはり黒田さんのピロール米だったのねえ、もしかして・・・と思ったんですよ・・・記事になってましたよ。」すごいなあ・・・と感心するし、えらい嫁さんだな〜あ とほめてあげたくなる。なぜって、この朝の新聞自分もサラッと覗いたのだが、そんな記事に目がいかなかったのじゃ。( 帰って、確認したら3面記事の下のほうに小さくあったのですわい )  こんな嫁はんが、あの○○さんを支えているのだと思うと、かわいくなるねえ・・・応援しがいがあるねえ。
ピロール与作さんの嫁はん・・・・ダメ。100点満点のおすみつき・・・・。もちろん、わが嫁はんにそんなこと求めてもおりませんが。いやあ、世の中にはいろんな能力の御仁がおられるものですわい。
2010.10.30 Saturday

おすとめす。男とおんな・・・

私どもが子供のころ、おはよう・・・・を「オッス」といわれたら「メッス」と答えていた時代があった。
相手が男同士でもネ。そして、お互いに笑っていた。我等の年代は当然ながら男女共学であった。だから、異性というものにそんなに興味をいだくことは幼少のころはなかった・・・・・というとウソになるか。
だが、(個人差もあろうが) 団塊の世代ゆえなのか多数の生徒がおるものだからあまりのめりこむほどの興味がなかったように思える。ただし高校にゆくまでだが・・・・。私は思春期が遅れてとどいたのだろうか・・・。体格も遅れていたからな。しかし、遅れて届いたぶん、これにのめりこみ・・・・「 女 」を過剰に意識するようになった高校1年の3学期ごろからは学業はガタ落ちになってしまった。進学をあきらめたのだ・・・・。ゲに恐ろしき存在は、「おなご」成りけり。神門師匠に言われた言葉が忘れられない。「 おまえ、嫁がおるのじゃろう・・・」「 はい、いまのところ・・・ひとりだけですがあ・・・」「 はっははは。おもろいやつじゃ・・。あんなもの、ひとりで十分じゃわい。わしなんか、ひとりもおらんわいな・・・」「 先生は、よめはんがおらんので、さみしくないですか・・・」「 なあ〜も、あんなもの、そばにおったらうるさくてしょうがないわい。第一、おまえ、おまえの嫁っておなごじゃろう・・・」「 はっははは、ははは先生、そりゃあ、おなごにきまってますがな」「 いやいや、おなごのつもりでいたら、おとこのものがついていたというのもあるのよな・・・・」「そんなことは、ナイデショウ・・・」「 アホっ・・・、おまえはそれだから、世間を知らんのよ、昔からよくある話ょ 」「 そうですかあ・・・」「 そうよ・・・。よう、明るいところで見てみんかい・・・」「 わっははは、明るくねえ・・・」「 それはそうと、おまえ、よく嫁と抱き合って寝ておれるのう・・・」「 はあ、先生そりゃあ、まあ、みんなそんなものじゃないですかいな、映画でもそうなっとりますからな・・・」 「 うぅん、皆んな、あんな化け物とよう、だきあっておられるものよなあ・・・・」「 はあ、うちの嫁はんは、バケモノですかいな・・・」
続く。
2010.10.28 Thursday

こんな書き込みをみつけましたよ・・・・サンキューです。


他のブログを検索していて、見つけましたよ。

貼り付け開始・・・
私が心配なのは、主食の米など穀物についてです。
司馬遼太郎によると、やはり農地については、国家的な思想に基づいた農地のあり方というのを考えねばならないようです。※「土地と日本人」
列島改造論に基づいて国土の縦横に道路を作りましたが、それと同時に農地であるはずの土地が投機的に扱われるようになりました。
そのへんから少しずつおかしくなっていったようです。農業自体よりも、そちらのほうに意欲を出した人も大いにあったと思います。
土地の中でも、大事な農地については、ある程度国家が管理する部分があってもよいのかと思います。
また、
農業不振の中、現在の日本の農地は、農薬や酸性雨などで、かつてと比べものもないほど汚染が極度に進行しているようです。
第二次世界大戦中、日本の兵隊は30Kgの背嚢を背負って20Kmも歩き米国兵を驚かせたという記述が米国にあるようです。
米国は、日本兵の強靭さの原因が食事(特に米と魚)にあると推断、日本の500箇所の土を本国に持ち帰り、化学分析の結果その主因が「当時の土壌」に依っていることを突き止めたといいます。
戦略国家である米国は、戦後処理の一環として、優秀な日本人を弱体化させる第一の方途は、
土壌汚染(農薬をばら撒かせること)、第二に海岸縁に四大工業地帯を作らせ海洋汚染(魚を汚染させること)、と結論付けたとの説もあるとのことです。
また現実、そうなっているのであって、先生がおっしゃるように、本当は国土の大掃除が必要なようです。
一つ例にとってみれば、
地球創生後の今から32億年前からあるという、光合成により二酸化炭素から酸素を発生、放出する「藍藻」は、シアノバクテリアとも呼ばれ、戦前までの日本の土壌には潤沢にあったといいます。そこからの作物は、米から野菜、果物に至るまで骨力を高めるデータがあり、骨が豊かな人の力を「體力たいりょく))と書いたそうで、今の「体力」ではないようです。ダイオキシン被害、温暖化防止など強い可能性を秘めた藍藻農法など、起死回生の方法に期待したいところです。
今年は、猛暑で米の品質の低下している中、この農法での米の出来はいつもと変わらず良かったと聞いています。
この農法を宣伝しているわけではありませんが、
土地価格など金銭的なものばかりに意欲を燃やす農家もあれば、このようにずっと以前から確かな「思い」があってがんばっている農業家もあります。
同じ農業の中でも、こちらも様々な思いで従事している人があり、混沌の世界かと思います。
戦前までのように、良い土壌に育った内容の良い農作物をみんなが普通に食べれるようになる時代が来てほしいです。

困難な状況をきっかけに、国民全体で考えて 日本国全体がより良い方向に進みますよう、がんばりたいものです。

貼り付け終わり・・・職人Kさんありがとさんです。


2010.10.28 Thursday

加瀬英明という人が・・・


メールが届いている。加瀬英明氏からのもの。

貼り付け開始・・・このところ、日本では高速道路がひろがるごとに、人の心が狭くなってきた。スーパーや、レストランが立派になるのにつれて、家庭の食事が貧しくなった。機能的なマンションがつぎつぎと建てられるようになったのに、隣人への親密感や、責任感がなくなった。

欲しいものを、何でも手に入れることができるようになったのに、希望だけがなくなってしまった。豊かな社会が到来したといいながら、希望がないのはおぞましい。

民主党は昨年の総選挙に当たって、今の安逸な「国民生活が第一」だと、約束した。
どうして、日本国民が日本の未来に希望を描くことが、できなくなったのだろうか。国を愛して、明日の日本を想う心が希薄になった。

私たちは国土を保全するとともに、日本という優れた伝統によってつくられている国を、万世へ伝えてゆく重い責任を負っている。・・・・加瀬さんは敗戦の時期に幼かったといわれるが・・・・「 聞け、わだつみの声 」の重みを熟知され、のこされた我等がなにをなすべきかを啓蒙されている日本人を愛するひとりだ。

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