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2014.07.28 Monday

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2013.09.06 Friday

読んだ本から

長い間かかって・・やっと 一冊の本を。

豊田正義 著の 「 妻と飛んだ特攻兵 」

昭和20年8月15日・・・・玉音放送の流れた日、日本帝国敗戦の日である。この4日後の 8月19日・・・満州において、最後の特攻がおこなわれた。・・・・逃げ惑う難民と貸した日本人大衆を女子供かまわずひき殺した ソ連軍戦車部隊に特攻した日本兵がおったということを・・・・

 しかも、この特攻機には女が乗っていた・・・・軍規を破ってまで女 ( 女性・妻 )を乗せて飛び立った・・・

 なぜ・・???   そうだったのか ・・!!!



     「 檄 (げき) 」
 戦い得ずして戦わざる空の勇士 11 名   生きて捕虜の汚辱を受けるを忍び難し

 ここに神州不滅特別飛行攻撃隊を編成し   昭和維新の魁たらんとす


  妻・・年上の妻 朝子を乗せた 谷藤徹夫(24歳)が最後に読んだ辞世の句・・・

「 国敗れて山河なし 生きてかひなき生命なら 死して護国の鬼たらむ 」

彼ら夫婦が特攻した8月19日は奇しくも、満州国皇帝の溥儀がソ連軍の捕虜になった日でもあった。こうして日本の傀儡国家・満州国は13年目にして、消滅したのである。

● ここで思う・・・ソ連も不可侵条約を犯してまでも満州国に攻め入り、たのみとした関東軍は我先に逃げた。残された日本人大衆が・・・何を思っただろう。「 どいつもこいつも、いざとなったら信用できない。 それもこれもみんな上層部の輩が、そういう連中こそ、いざとなったら裏切り行為に走るものだ・・・ 」歴史が教えている。

 そういう中、この神州不滅特攻隊の兵卒たちが、逃げ惑う大衆・女子供がソ連軍からの攻撃時間を延ばし、逃げる時間をつくろうと決意したのであった。・・・・どうです。・・・しかし、戦後、この部隊のことは公にされず、黙殺され続けたのである。軍規違反者として軽蔑され、英霊ともあつかわれず、・・・・終戦から22年目(昭和42年5月5日)にしてやっと「慰霊碑」が建てられた。・・・・・人間生まれた時代によって、そのときの環境によって・・こうも、青春が変わるものなのだといまさらながら頭垂れる私だ 」
2014.07.28 Monday

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